資料7
パンフレット「静かな奥摩耶山荘」、神戸市電弘済会?、1950年代後半?
かつて奥摩耶(摩耶山頂)地区に存在したホテル「奥摩耶山荘」のパンフレット。発行年は特に記載されていない。同ホテルは1954(昭和29)年7月に 開業しているが、ここに紹介されている奥摩耶地区には1955(昭和30)7月に営業開始した「奥摩耶ロープウェー(現・まやビューライン夢散歩)」が記 載され、また1956(昭和31)年7月に完成したとされる「マウントコースター」などに代表される施設が紹介されていることから、早くとも50年代後半 以降の制作と思われる。またホテルの電話番号が修正されていることから、その後1960年代後半まで使用・頒布されていたものとも想定される。奥摩耶山荘 は1970(昭和45)年前後に営業を停止し建物は撤去されて、同年4月に新たに「国民宿舎摩耶ロッジ」が新築されて再オープンした(現「オテル・ド・マ ヤ」の前身)。
左下の建物はホテル西側に存在した別館の建物のようである。一方、右の部分には「32室100名収容」などのホテルの概要、その下部には奥摩耶地区の説明等が記されている。
1950年代後半から70年代にかけて「奥摩耶遊園地」として機能していた奥摩耶地区の諸施設が地図で紹介されている。マウントコースターのレイアウト等が確認できるが、他にも地図の右下にかつて存在していた「ユースホステル」の建物も記載されている。ここは現在はテレビ局等の電波中継施設が立ち並んでいる。同時期のガイドブックや住宅地図などから、正式名称は「ユースホステル奥摩耶ハウス」であったらしい。その正確な営業期間は不明だが、同時期の住宅地図によれば、50年代後半は「林間学校 奥摩耶ハウス」と記載されていたが、60年代前半にはユースホステルとなり、70年代前半には神戸市立高校の施設(それでも名称は奥摩耶ハウス)となっていた。さらに70年代後半には建物自体の記載がなくなっており、おそらくこの時期に解体撤去されたものと考えられる。
また地図左下には「奥の院跡」「一本杉」の記載があるが、ここに現在は天上寺の伽藍が存在している。この当時、天上寺はまだ摩耶山中腹(現・史跡公園)にあったが、1976(昭和51)年1月に火災によりほぼ全焼した。その後、80年代に入って天上寺創建の場所と伝承され、一本杉があったこの地に伽藍が再建されている。
ここに登場する「名物かまぶろ」は、以前紹介した絵はがき集でも確認できるものである。また左側にユースホステルの建物が掲載されている。
左下の「観光放牧場」は1956(昭和31)年に開業した観光牧場で、現在の「六甲山牧場」の起源となる施設である。
2009年4月29日水曜日
2009年2月17日火曜日
摩耶山および摩耶観光ホテル関連資料6
資料6
絵はがき「国立公園 まや山 NATIONAL PARK Mt.Maya」、摩耶鋼索鉄道株式会社、1950年代後半(昭和30年代前半)?
摩耶ケーブル会社が、摩耶山の再活性化した1950年代後半に販売したと思われる絵はがき集。関連資料5および摩耶観光ホテルについて(摩耶観光ホテルについて12(資料9)2007年3月)と同時期のものと思われる。このいずれも白黒写真に彩色したものであったが、今回の絵はがきも同様である。表紙には特に記載はなされていないが、はがき裏面に「摩耶鋼索鉄道株式会社」と記載されており、同社の発行であることが確認できる。また「京都 日本写真印刷印行」ともあって、これはそこで印刷されたことを示していると思われる。
ケーブル会社によるものということで、ロープウェイ開通と同時に遊園地として整備された山頂地区は、奥摩耶山荘からの夜景のみであり、代わってケーブル摩耶駅周辺の展望台などが紹介されている。これは明らかに、以前紹介した2つとは異なる特徴といえよう。
以前紹介した絵はがき(摩耶観光ホテルについて12(資料9)2007年3月)にも同様のものがあったが、これは前のものより西側から摩耶山を見上げた構図となっている。中央に途中トンネルで分断されているもののケーブルカーの路線、尾根筋の左上に山頂部の施設、ケーブル路線のすぐ左に中腹部の施設などが確認できるが、何よりもケーブル右側に一際目立つのがマヤカンである。彩色しているせいか、煙突が円錐形になっていたりして不鮮明ではあるが、形態的には以前の絵はがきと同様に増築前の姿である。よってこの絵はがきは、マヤカンが増築され再デビューする1961(昭和36)年以前の状況を示していると思われる。
絵はがき「国立公園 まや山 NATIONAL PARK Mt.Maya」、摩耶鋼索鉄道株式会社、1950年代後半(昭和30年代前半)?
摩耶ケーブル会社が、摩耶山の再活性化した1950年代後半に販売したと思われる絵はがき集。関連資料5および摩耶観光ホテルについて(摩耶観光ホテルについて12(資料9)2007年3月)と同時期のものと思われる。このいずれも白黒写真に彩色したものであったが、今回の絵はがきも同様である。表紙には特に記載はなされていないが、はがき裏面に「摩耶鋼索鉄道株式会社」と記載されており、同社の発行であることが確認できる。また「京都 日本写真印刷印行」ともあって、これはそこで印刷されたことを示していると思われる。
ケーブル会社によるものということで、ロープウェイ開通と同時に遊園地として整備された山頂地区は、奥摩耶山荘からの夜景のみであり、代わってケーブル摩耶駅周辺の展望台などが紹介されている。これは明らかに、以前紹介した2つとは異なる特徴といえよう。
登録:
投稿 (Atom)